17_社障
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6に就けるようにするには,生活困窮に陥った原因によって異なった対策が必要になってきます。 そうなると,男も女も,子どもも高齢者も,みんな同じ施設に収容しているというのは効率的でないということになって,次第に貧困の原因別の施設に分かれてきます。こうして,養老院(今日の老人ホーム,ナーシングホーム)とか孤児院(今日の児童養護施設)とかいう施設ができました。そして,生活困窮者ということで,お金や食事を与えるという施策と,ハンディキャップをもつ人びとが正業に就くために教育訓練をするための施策は,施策の体系としても分かれて,「公的扶助」と「社会福祉」が分離したのです。 「社会保障」という言葉は,英語のSocial Securityの翻訳です。この言葉が公式に使われたのは,1935(昭和10)年にアメリカでつくられた社会保障法(Social Security Act)が始まりといわれています。しかし,社会保障の諸制度がこのときに初めてつくられたわけではありません。それまで別々に発達してきた「社会保険」と「社会扶助」を合わせて「社会保障」という一体的な概念がこの時期に成立したということなのです。 1942(昭和17)年に,ILO(国際労働機関)は「社会保障への途」と題する報告書を発表し,そのなかで,社会保障の促進こそ国家の本来の活動であると位置づけ,社会保険と社会扶助を統合した公的サービスの体系を構築することを提言しました。同じ1942(昭和17)年に,イギリスでは,有名な「ベヴァリッジ報告」が出され,貧困,病気,無知,不潔,怠惰を社会の進歩を阻む5つの巨人と位置づけ,これに対応するために,普遍的な国民保険と国民扶助からなる社会保障制度が計画されました。 第2次世界大戦が終わり,ヨーロッパの国々が戦後の新しい国家形成をめざすなかで,「社会保障への途」や「ベヴァリッジ報告」の考え方は大きな影響を与えました。戦争による荒廃からの再生をめざしたヨーロッパの国々の多くは,国内の貧困を撲滅して所得を増やし,民間の需要を喚起することで,豊かな社会を築いていく途を選択します。そのために,社会保障を国の4.社会保障の成立と福祉国家

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