日米親
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。。3)最判昭和35・3・15民集14巻3号430頁と最判昭和38・9・17民集17巻8号968頁は,親権者から第三者へ対する請求であり,最判昭和45・5・22判時599号29頁は,離婚後の親権者から非親権者へ対する請求であり,いずれも子の引渡しが認められた。4)大判大正12・11・29民集2巻12号642頁。5)大判昭和13・3・9民集17巻4号378頁。6)穂積重遠「親権―幼児引渡の請求」法協40巻5号909頁(1922年),柳川昌勝「判批」民商法8巻2号290頁(1938年),木村健助「親権者の監護教育権」民商法13巻1号51頁(1941年),谷口知平「判批」民商法43巻2号310-311頁(1960年)。212ただし判例は早くから,子に是非弁別の能力があり,その意思に基づいて第三者のもとに居住している場合は,親権の侵害行為には当たらないとして,4)。子の年齢に関しては,満8妨害排除請求による子の引渡請求を斥けていた歳から12歳まで拘束者と同居していた事件において,子は意思能力を有しており,その自由意思で居所選択しているとして,親権行使の妨害排除請求5)。戦前の判例は,親が子を芸妓に売り飛ばすために,あるいはを斥けている金銭要求の目的で,幼児の頃より子を預けていた第三者に子の返還を請求する事例が頻出していたので,子の自由意思をもって親権行使妨害の例外としていたという事情があった。最高裁判所においても子の意思を考慮する判断は踏襲されたが,子の意思能力と子の自由意思とが問題となった。最高裁判所昭和35年3月15日判決(民集14巻3号430頁)は,子が3歳に満たない頃から第三者のもとで養育されており,第一審当時10歳になったときに実母が子の引渡しを請求したが,子が実親のもとに戻ることを拒否した。裁判所は,監護の開始当時子は3歳であり,子が自由意思によって拘束者のもとにとどまったとは認められないとして,親権に基づく子の引渡請求を認めた。この判例の後,人身保護請求事件においても,子の自由意思の有無とその形成過程における拘束者からの影響の有無という考慮要素が現れてくるようになった。子の引渡しが子の意思により左右されることについて,学説は,子に意思能力が認められない場合や,その自由意思が表明されない限り,親による子の引渡請求が不当であるときでも引渡しに応じざるを得ないのは不合理であると批判した。そこで,引渡請求を認めるか否かは監護教育権の適正行使によるべきであり,親権濫用があるときに限り引渡しは認められないとすべき6)と反論した3)が認められてきた

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