3_高齢交通
5/54

12020年、東京オリンピックが開催される東京に、世界中のアスリートやたくさんの観光客がやってきて、日本中が活気あふれる明るい年になる、と思っていました。しかし、全く予想もしなかったコロナ禍により、オリンピックは中止、国の内外を問わず人の往来はストップ、自粛の日々を過ごすことになりました。警察庁の報告によると、自粛の影響か、上半期の交通事故発生件数は22%余減少したようです。「動かなければ事故は減る、動くから事故が起きる、だから動くべきではない。」と言うことはできません。しかし、だからといって、「動くと事故が起きるのはやむを得ない。」と看過できることでもありません。ひいては交通事故、まずは交通事故死傷者は、ゼロでなければならないはずです。機動性(mobility)より安全性(safety)が優先されるべきとするビジョン・ゼロ(vision zero)をもっと現実のものとして受け止める必要があると実感しています。高齢者の交通事故が問題となるのは、高齢者が社会の担い手として活動していることの裏返しでもあるから、高齢化率が増加の一途を辿る超高齢社会において、高齢者の交通事故は大きな社会問題です。民事責任のあり方も問題となっています。そこで、当事者代理人として関与している民事交通事故事件につき、高齢者が問題となる場面を、高齢被害者の損害論、高齢加害者の責任論と分け、過去の裁判例から読み解き、問題状況を整理したうえ、将来に向かって解決すべき問題の所在を確認することにしました。とはいえ、多数の裁判例をみているうちに、高齢者をめぐる問題は、理論的整合性、結果の妥当性にはなじまず、人生観、世界観、思想信条、哲学も交錯し、社会の変遷とともに解決を模索し続けるべきゴールの見えない問題ではないかとの思いに至っています。はしがき

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る