10もっとも、これはヨーロッパ人権裁判所の判断には高い正当性があり、自由権規約委員会の判断は一段低い価値しかない、という評価を導くものではない。重要なのは、ヨーロッパ人権条約と自由権規約は、同じく世界人権宣言にその淵源が求められる点である。事実、歴史的にも現実的にも、それぞれの解釈は相互に影響をうけてきた。1979年に自由権規約を批准した日本は、当然に、同規約に法的に拘束されている。淵源を同じくし、類似の権利の解釈において相互に影響をうけている事実は、ヨーロッパ人権条約の司法判断を日本の文脈でも直接参照することの正当性を示している。⑶ 国際法の誠実遵守ヨーロッパ人権条約の判例を直接、または淵源と展開を同じくする自由権規約上の権利の解釈や日本の憲法解釈ないし法律の解釈において参照することは、日本国憲法98条2項の趣旨にも叶う。国際法を「誠実に遵守すること」という同項の要請は、参照することを許容するだけでなく、むしろ要請しているとも考えられる。たとえば、山元一は、憲法学の人権解釈論がナショナルな次元に留まることを問題視し、トランスナショナル人権法源論を提唱する。「日本14)国憲法にとってrelevantなトランスナショナルな人権的法実践の総体」をトランスナショナル法源と位置づけ、国際人権法と外国法の区別さえも相対化して、人権解釈論を再構成するものである。もちろん、憲法・国際人権法・比較法の垣根を越えて人権関連のディシプリンが連携・協働する構想は、グローバル・スタンダードとして称揚される側面とともに、「装いを新たにした西洋コロニアリズムの一形態」としての懸念も内包していまた、齊藤正彰は、ドイツ基本法における国際法調和性の論理を参考15)る点には十分な注意が必要となる。14)山元一「憲法解釈における国際人権規範の役割」国際人権22号(2011)37頁。15)山元一「『憲法的思惟』vs『トランスナショナル人権法源論』」法律時報87巻4号(2015)78‒79頁。
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