3_性国
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年代、そしてアメリカでは2000年代までソドミー処罰規定は有効に存8)在していた。また、ソドミー処罰規定の多くが、植民地支配の過程でイギリスから世界に「輸出」され、独立後も維持されてきたという歴史も忘れてはならなソドミー処罰規定に関連する問題点は、刑罰規定そのものの是非にとどまらない。ある行為を国家が犯罪として処罰対象とすることは、行為そのものを超えて、その行為に関与する可能性がある属性や特徴をもつ人々の集団を、犯罪者集団あるいは犯罪予備群として社会的に烙印づけする効果をもつ。その烙印づけは当該集団に属する(と思われる)人への差別や暴力、さらには殺害行為を誘発し、また、そのような行為を正当化する口実としても用いられる。とりわけ、同性愛に関する否定的な感情や漠然とした恐怖感―いわゆる同性愛嫌悪(homophobia)―がある社会において国家が刑事処罰という形で介入することは、そのような否定的感覚にお墨付きを与えることに繋がる。そして、その同性愛嫌悪は維持され、さらに強化されていく。ソドミー処罰規定が単なる刑事処罰の領域を超えて、社会全体の差別意識や暴力行為の温床をなっている現実もまた、この問題を人権の視点で捉える必要性を示している。ヨーロッパ人権裁判所(以下、裁判所)において、初めてソドミー処罰規定の条約違反が認定されたのは、1981年のダジャン対イギリス事件9)い。2 重要判例 ―ダジャン対イギリス事件判決(1981)238)アメリカにおいてソドミー処罰規定の違憲性が確定した判決として、Lawrence v. Texas, 123 S. Ct. 2472(2003)。同事件について、紙谷雅子「自由の射程:ローレンス対テキサス判決は何をどこまで認めたのか」法とセクシュアリティ(2007)2号27‒43頁;志田陽子「ソドミー法の合衆国憲法適合性:ローレンス対テキサス」谷口洋幸・齊藤笑美子・大島梨沙編著『性的マイノリティ判例解説』(信山社、2011)6‒12頁参照。9)Human Rights Watch, 2008, This Alien Legacy : The Origins of “Sodomy” Laws in British Colonialism, https://www.hrw.org/report/2008/12/17/alien-legacy/origins-sodomy-laws-british-colonialism (last visited 26 January 2022).2重要判例 ―ダジャン対イギリス事件判決(1981)

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